ステルス解雇(静かな解雇/quiet firing)とは、会社が解雇の通告をしないまま、労働者が自分から「辞めます」と言い出すように環境を追い込む一連の行為を指す通称です。法律上の用語ではありません。
会社がこの方法を選ぶ理由は単純です。日本では、正社員を一方的に解雇するには客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が必要で(労働契約法16条)、争われれば会社が負けるリスクがあります。しかし労働者が「自己都合で辞めた」ことにできれば、解雇予告手当も、争う機会も、会社都合の助成金上の不利益も、すべて回避できます。
このページでは、典型的な手口、法的にどう評価され得るか、いま何を記録すべきか、そして失業給付を自己都合で終わらせないための手順を整理します。
単独では「よくある人事」に見えるものばかりです。複数が同時期に、同じ人にだけ起きているかが判断の分かれ目になります。
| 手口 | 具体的に起きること |
|---|---|
| 1. 仕事を取り上げる | 担当を外す、新規案件を回さない、会議に呼ばない。いわゆる追い出し部屋型。給与は払われるため「不利益がない」ように見えるのが厄介です。 |
| 2. 過大な要求 | 逆に、達成不可能な目標や人員のいない業務を一人に押し付け、未達を理由にする。 |
| 3. 評価を急に下げる | 前年まで標準以上だった評価が、説明のないまま最低水準になる。昇給・賞与に反映させ「実力不足」の外形を作る。 |
| 4. 形だけのPIP | 業績改善計画(PIP)を、改善支援ではなく退職の前段として使う。目標が曖昧、達成基準が動く、面談記録に署名を求められる。 |
| 5. 遠方転勤・畑違いの配転 | 家庭事情を知ったうえで通勤困難な勤務地や未経験職種へ。断れば「業務命令違反」、受ければ疲弊。 |
| 6. 降格・減給・手当カット | 役職を外す、固定残業や役職手当を止める。生活を先に苦しくして自発的退職を待つ。 |
| 7. 情報からの切り離し | メーリングリスト・Slack/Teamsチャンネル・共有フォルダから外す。仕事ができない状態を作ってから「成果がない」と言う。 |
| 8. 反復する退職勧奨 | 「うちには合わないのでは」「早めに次を探した方が」を、面談のたびに繰り返す。断っても回数が減らない。 |
| 9. 在宅・時短の一方的解除 | 本人にだけ在宅勤務や時短の許可を取り消し、育児・介護・通院との両立を不可能にする。 |
| 10. 更新の匂わせ | 有期契約者に対し「次は難しいかも」とだけ伝えて自主的な離職を待つ。雇止めの手続きも理由の明示も回避される。 |
過去3か月に当てはまるものにチェックしてください。集計はこのページ内だけで行われ、どこにも送信されません。
これは診断ではなく、状況を言語化するための目安です。判断は労働局・労働組合・弁護士などの専門窓口で確認してください。
退職勧奨そのものは違法ではない。ただし限度がある
会社が退職を「打診」すること自体は違法ではありません。問題になるのは、労働者が明確に断った後です。断った後も執拗に面談を繰り返す、長時間拘束する、人格を否定する、退職しなければ不利益があると告げる——こうした態様は退職強要として不法行為(民法709条)と評価され得ます。
パワーハラスメント防止の枠組み
労働施策総合推進法30条の2により、事業主にはパワハラ防止の措置義務があります。業務を取り上げる(過小な要求)、隔離する(人間関係からの切り離し)、達成不可能な業務を課す(過大な要求)はいずれも代表的な類型です。社内窓口が機能しない場合は、都道府県労働局の総合労働相談コーナーが無料で相談を受け付けています。
実質的に解雇なら、解雇のルールが適用される
「辞めろ」と言われて辞めた場合でも、経緯によっては解雇と評価されることがあります。その場合は労働契約法16条(解雇権濫用法理)と労働基準法20条(30日前の予告または解雇予告手当)の問題になります。会社が解雇と言っていないことは、解雇でない証明にはなりません。
人事権の濫用
配置転換や降格は原則として会社の裁量ですが、①業務上の必要性がない ②不当な動機・目的がある ③労働者に通常受忍すべき程度を著しく超える不利益がある、といった場合は権利の濫用として無効になり得ます。退職に追い込む目的の配転は、まさに②に関わります。
- その場で「わかりました」と言う——口頭でも退職の合意と主張される余地が生まれます。「持ち帰って検討します」で止めてください。
- 勢いで退職届を出す——自分から出した退職届は、後から撤回するのが非常に困難です。会社が最も望んでいる行動です。
- 退職合意書・面談記録にその場で署名する——清算条項(今後一切請求しない旨)が入っていると、未払い残業代やハラスメントの請求権を手放すことになります。
- 感情的に反論する・無断欠勤する——こちらの落ち度として記録され、懲戒の材料にされます。事務的な対応が最も強い防御です。
- 証拠を残さないまま我慢する——ステルス解雇は「何も起きていない」外形を作る手法です。記録がなければ、後から立証できません。
最も効くのは、日付つきの淡々とした事実の記録です。感想ではなく、いつ・どこで・誰が・何と言ったかを書きます。
記録テンプレート
場所:本社3階 第2会議室
出席者:△△部長、人事□□
言われたこと(できるだけ原文):「この評価だと今後厳しい。早めに次を考えた方がいい」
自分の回答:「退職の意思はありません」
配布・提示された書面:面談記録票(署名は保留、写真あり)
業務への影響:翌日から〇〇案件の担当を外された
体調:不眠3日目
記録の残し方
- 面談後にメールで確認——「本日のご面談の内容は以下の理解でよろしいでしょうか」と送るだけで、会社側の記録にもなります。返信がなくても送信履歴が残ります。
- 指示は書面で求める——「業務指示はメールでお願いします」と伝えるだけで、口頭の圧力は目に見えて減ります。
- チャットは消える前に保存——Slack/Teamsの発言や、チャンネルから外された事実はスクリーンショットで残してください。退職後はアクセスできません。
- 個人の端末・私用メールに退避——ただし顧客情報や営業秘密の持ち出しは別問題です。自分に関する人事・労務のやり取りに限定してください。
- 体調の変化も記録——受診した場合、初診日と症状の記録は労災・傷病手当金の検討で重要になります。
証拠の集め方の詳細は証拠の集め方、チャットの保全はSlack・Teamsの証拠保全、面談記録票への対応は面談記録票を渡された時の注意点を参照してください。
「退職の意思はありません」と口頭で伝え、同じ内容をメールでも送ります。繰り返す必要はありません。一度、記録に残る形で言えば十分です。
上のテンプレートで面談・業務変更・評価の記録を取り始めます。過去の分も、思い出せる範囲で日付を添えて書き出しておきます。
総合労働相談コーナー(各都道府県労働局・無料)、法テラス、合同労組、弁護士の労働問題相談。社内窓口だけで完結させないことが重要です。窓口一覧は無料相談窓口にまとめています。
残って争う、条件を交渉して合意退職する、転職を先に決めて辞める——どれも正当な選択です。重要なのは、追い込まれた末にではなく、記録と情報を持ったうえで選ぶことです。
ステルス解雇の最終的な狙いは、離職を自己都合として処理することです。ここが最後の分岐点になります。
退職合意書で必ず確認する項目
- 離職理由の記載(会社都合か、退職勧奨によるものか)
- 退職日と、それまでの就労義務の有無
- 解決金・特別退職金の額と支払時期
- 清算条項の有無(未払い賃金・損害賠償を今後請求できなくなる条項)
- 秘密保持・競業避止の範囲(転職先が制限されないか)
離職票が「自己都合」で届いたら
ハローワークの窓口で異議を申し立てることができます。面談記録、業務を外された経緯、退職を促されたメールなどを持参してください。退職勧奨による離職と認められれば特定受給資格者として扱われ、給付制限や受給日数の扱いが変わります。判断は個別事情によるため、離職票を受け取ったらすぐ相談するのが鉄則です。
失業給付の全体像は失業給付を受ける、退職後の手続きは辞めた後にやることにまとめています。未払い残業代がある場合、賃金請求権の消滅時効は当分の間3年です(残業代・法的権利)。
Q. 仕事がないだけで、給料は出ています。それでも問題ですか。
問題になり得ます。業務からの隔離や過小な要求はパワーハラスメントの類型です。金銭的な損失がなくても、職業能力とキャリアの損失、健康への影響は実害です。記録を残してください。
Q. 会社に録音を禁止されています。録音は違法ですか。
自分が当事者である会話を録音すること自体は、通常、法律違反ではありません。ただし社内規程違反を問われる可能性はあります。まずはメールでの確認と詳細なメモから始めるのが安全で、実務上も十分に有力です。
Q. 上司ではなく人事から面談を受けています。断れますか。
業務時間中の面談は業務命令として応じる必要がある場合が多いですが、時間・回数・内容には限度があります。「面談の目的と議題を事前にメールでお知らせください」「本日は30分で終了させてください」と伝えるのは正当です。
Q. すでに退職届を出してしまいました。取り消せますか。
状況によります。会社の承諾前であれば撤回できる場合があり、強迫や錯誤があったといえる事情があれば取消し・無効を主張できる余地もあります。時間が経つほど難しくなるため、できるだけ早く労働局か弁護士に相談してください。
Q. 有期契約です。更新されないと言われたら諦めるしかありませんか。
いいえ。反復更新されてきた場合や、更新を期待する合理的な理由がある場合には、雇止めに制限がかかります(労働契約法19条)。過去の更新回数、更新時の手続き、上司の発言を記録してください。
- 直近3か月に起きた業務・評価・面談の変化を、日付つきで書き出す
- 次の面談の前に「退職の意思はありません」をメールで一度送る
- 総合労働相談コーナーの電話番号を調べ、相談日を決める(相談窓口一覧)
ステルス解雇は、記録がない人にだけ有効な手法です。記録を取り始めた時点で、会社側の想定は崩れます。